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浦和地方裁判所 昭和55年(ワ)1386号 判決

原告(反訴被告)

大東京火災海上保険株式会社

右代表者

反町誠一

右訴訟代理人

江口保夫

斉藤勘造

草川健

鈴木諭

被告(反訴原告)

中山学

被告(反訴原告)

田辺寛

右被告両名訴訟代理人

須賀貴

吉田聰

主文

一  原告(反訴被告)の被告ら(反訴原告ら)に対する「昭和五一年三月一四日午後七時三〇分ころ埼玉県鳩ケ谷市宮地町一〇〇七番地先路上において発生した交通事故により被告ら(反訴原告ら)が受傷したことによる所得補償保険金及び後遺障害保険金各支払債務」は存在しないことを確認する。

二  被告ら(反訴原告ら)の原告(反訴被告)に対する反訴請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は本訴反訴を通じて被告ら(反訴原告ら)の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(本訴事件について)

一  請求の趣旨

1 主文第一項同旨

2 訴訟費用は被告ら(反訴原告ら、以下「被告ら」という)の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告(反訴被告、以下「原告」という)の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴事件について)

一  請求の趣旨

1 原告は、被告中山学(以下「被告中山」という)に対し、金六〇七一万六六六六円、被告田辺寛(以下「被告田辺」という)に対し、金五五六万六六六六円及び被告中山につき内金四二〇〇万円、被告田辺につき金五五六万六六六六円に対する昭和五七年一〇月二七日から、被告中山につき内金一八七一万六六六六円に対する昭和五八年九月二二日から各完済まで年六分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は被告らの負担とする。

第二  当事者の主張

(本訴事件について)

一  請求の原因

1 被告らは、いずれも、昭和五一年二月二二日、原告との間で左記(一)の内容の傷害特約付所得補償保険契約を締結し、昭和五一年三月一四日、左記(二)の内容の交通事故により受傷して就労が不能となり、後遺障害が残つたため、原告に対し、右保険契約による所得補償保険金及び後遺障害保険金支払請求権がある旨主張し、右金員を請求している。

(一) 保険契約

(1) 被告中山との傷害特約付所得補償保険契約(以下単に「本件保険契約」ともいう)

契約締結日 昭和五一年二月二二日

保険金額 休業補償金月額五〇万円

保険期間 昭和五一年二月二二日から一年間

傷害特約 後遺障害保険金六〇〇〇万円

保険料 年間二二万五六〇〇円、月額一万八八〇〇円の一二回払、契約成立時に二カ月分支払

(2) 被告田辺との傷害特約付所得補償保険契約(以下単に「本件保険契約」ともいう)

契約締結日 昭和五一年二月二二日

保険金額 休業補償金月額二〇万円

保険期間 昭和五一年二月二二日から一年間

傷害特約 後遺障害保険金二四〇〇万円

保険料 年間九万〇二四〇円、月額七五二〇円の一二回払、契約成立時に二カ月分支払

(二) 交通事故の発生

(1) 交通事故(以下「本件交通事故」という)

日時 昭和五一年三月一四日午後七時三〇分ころ

場所 埼玉県鳩ケ谷市宮地町一〇〇七番地先交差点

加害者 古矢信一

加害車両 普通貨物自動車

被害者 被告両名

被害車両 普通貨物自動車

事故態様 赤色信号無視の加害車両が被告両名の乗車する被害車両に側面衝突

(2) 傷害及び後遺障害

被告中山 頸椎挫傷、頭部顔面挫傷、左肘部挫傷、右第二、第三指挫傷の傷害

視力視野障害、頸部運動障害等の後遺障害

被告田辺 頸椎捻挫の傷害

頸椎変形性脊椎症による強度の頸部痛等の後遺障害

2 しかしながら、被告らと原告との間の本件各保険契約の締結は、被告らが交通事故に遭つた後の昭和五一年三月二二日あるいは同年六月一日であり、右交通事故は保険期間内に発生したものではない等の理由により、原告には被告らに対しそれぞれその保険金支払義務は存しない。

3 よつて、原告の被告らに対する各保険金支払債務は存在しないのであるから、被告らに対しそれぞれその旨の確認を求める。

二  請求の原因に対する答弁

請求の原因1項は認める。2項は否認する。3項は争う。

三  抗弁

1 保険契約の成立

(一) 被告らは、昭和五一年二月二二日、原告の社員であり、原告が原告と第三者との間の保険契約を締結する代理権限を与えた河原辰之助(以下単に「河原」という)との間で請求の原因1項(一)(1)(2)記載の内容の本件各保険契約を締結した。

なお、被告らは、右同日、いずれも河原が準備した保険申込書に署名捺印をしたうえ、これを河原に交付し、河原は異議なくこれを受領したのであるが、河原が右保険申込書を受領することにより原告の承諾があつたものであり、保険契約自体は、被保険者の職業、収入等の審査の結果契約引受の基準に達していないことを解除条件として成立したものである。

(二) 本件の傷害特約付所得補償保険の内容は、被保険者が保険契約の期間中に傷害又は疾病を被り、そのために就業不能になつた場合に、被保険者が失なう所得について、保険契約で定める期間内、その保険金額を最高限度として、補償することを目的としたものであり、また、傷害特約については、被保険者が保険期間中に傷害を被り、その直接の結果として傷害の原因となつた事故発生の日から一八〇日以内に死亡したとき、または、後遺障害が生じた場合に保険金が支払われるものであるが、後者については、傷害による死亡・後遺障害担保特約条項に定める後遺障害保険金支払区分表の障害の程度に応じて、傷害特約保険金額の三パーセントから一〇〇パーセントの金員を一時金で支払うものである。

2 交通事故の発生

被告らは、昭和五一年三月一四日、請求の原因1項(二)(1)記載の交通事故に遭い、同(二)(2)記載の傷害を負つた。

3 被告らの治療経過及び就業不能期間

(一) 被告中山

同被告は、昭和五一年三月一四日に受傷した後、同月三一日まで埼玉厚生病院に通院したが、症状が悪化し、同年四月一日同病院に入院して治療を受け、同月二〇日に一旦退院し、通院をしていたが、また症状が悪化し、同年六月二五日に再び同病院に入院し、昭和五二年七月一二日に退院した。そして、同被告は、退院後、川口市民病院に転医し、以後通院治療を継続してきたが、昭和五六年の夏ころ約二週間、昭和五七年一一月ころ約二〇日間、いずれも同病院に入院し、現在に至るまで同病院に通院して治療を受けている。同被告は、本件交通事故後現在に至るまで全く就労が不可能な状態である。

(二) 被告田辺

同被告は、昭和五一年三月一四日に受傷した後、同月三一日まで埼玉厚生病院に通院したが、症状が悪化し、同年四月一日から同年六月一五日まで同病院に入院して治療を受けてきたが、右同日転医し、同月二三日長岡赤十字病院に入院し、同年七月八日退院し、その後昭和五二年四月二六日まで同病院に通院して治療を受けた。そして、同被告は、昭和五三年二月七日から同月二七日までの間川口医師会病院に通院し、その後昭和五六年八月二七日まで矢作病院、安斉病院等に、同月二八日から昭和五七年六月一五日までの間河北総合病院に、それぞれ通院して治療を受けたものである。同被告は、少なくとも昭和五二年四月二六日までの間就労は不可能な状態であつた。

4 後遺障害

(一) 被告中山

同被告は、昭和五五年一〇月二七日症状が固定し、視力障害(右0.04、左0.02)、視野障害(五ないし三〇パーセントに制限される)、眩量、頭痛、頸部痛、両肩痛、両上肢知覚鈍麻、知覚過敏、両足知覚異常、頸部運動障害(一〇度から三〇度に制限される)、聴力障害(右四八デシベル、左五四デシベル)、耳鳴、握力低下(右八キログラム、左二一キログラム)の各後遺障害が残つた。

(二) 被告田辺

同被告は、昭和五二年四月二六日症状が固定し、頸椎変形性脊椎症による強度の頸部痛、頸部痛、肩凝りの各後遺障害が残つた。

5 保険金額

(一) 被告中山

(1) 所得補償保険金

前記のとおり、同被告は、昭和五一年三月一四日から少なくとも保険契約期間である昭和五二年二月二一日まで就労が不可能であつたが、所得補償保険普通保険約款(以下単に「約款」という)に定める免責期間(本件各保険契約においては七日間)を除くので、保険填補期間内における就労不能日数は昭和五一年三月二一日から昭和五二年二月二一日まで一一カ月と一日となる。従つて、一カ月五〇万円の割合の保険金五五一万六六六六円を請求することができる。

(2) 後遺障害保険金

前記後遺障害によれば、同被告は、労働能力の九二パーセントを喪失するに至つたというべきであり、約定の六〇〇〇万円の九二パーセントの金五五二〇万円の保険金を原告に請求できる。

(3) 保険金合計 金六〇七一万六六六六円

(二) 被告田辺

(1) 所得補償保険金

前記のとおり、同被告は、昭和五一年三月一四日から少なくとも保険契約期間である昭和五二年二月二一日まで就労が不可能であつたが、被告中山と同様免責期間七日を控除すると、その日数は一一カ月と一日となる。従つて、一カ月二〇万円の割合の保険金二二〇万六六六六円を請求することができる。

(2) 後遺障害保険金

前記後遺障害によれば、同被告は、労働能力の一四パーセントを喪失するに至つたというべきであり、約定の二四〇〇万円の一四パーセントの金三三六万円の保険金を原告に請求できる。

(3) 保険金合計 金五五六万六六六六円

6 以上のとおり、原告に対し、所得補償及び後遺障害保険金として、被告中山は金六〇七一万六六六六円、被告田辺は金五五六万六六六六円を請求することができる。

四  抗弁に対する答弁

1 抗弁1項(一)の本件各保険契約が成立したことは認めるが、河原の権限、契約成立の時期、保険期間については否認する。

まず、河原は、原告の被用者でいわゆる保険外務員であり、保険契約締結についての勧誘事務に従事するもので、保険契約締結権限は有していない。

次に、保険契約の成立時期は、外務員が契約者から保険契約申込書に署名捺印を受けてこれを受領した時ではなく、原告は、外務員から申込書を受領した後、被保険者の職業、収入等について審査をなし、基準に達している場合に保険契約の申込に対して承諾をなすもので、保険証券を契約申込者に送付することをもつて承諾に代えているのである。

また、河原が被告らから本件各保険契約の申込を受けたのは、昭和五一年二月二二日ではなく、同年三月二二日である。右契約申込当日、被告らは保険料を全額支払うことができないとのことであつたから、河原は、保険料分割払特約条項により、被告らとの間に、それぞれ、保険料は毎月に分割して支払うが、右契約申込当日、分割保険料二カ月分を支払う旨約定し、被告中山は金三万七六〇〇円、被告田辺は金一万五〇四〇円を支払う必要があつたところ、被告らの手持金が不足していたことから、当日はとりあえず被告ら両名分として金一万二六四〇円を河原に交付し、近日中に残金四万円を河原に交付する約定であつた。しかし、被告らがこれを支払わないため、河原は、原告に申込のあつたことを報告することができずにいたところ、河原自身も自己の成績を上げるために、自ら保険料四万円を立替えて、原告に対し、同年五月中旬から下旬にかけて、保険期間を昭和五一年六月一日から昭和五二年六月一日までとする契約の申込を受けたとして報告をなしたものである。従つて、本件各保険契約は、昭和五二年六月一日に成立したものというべきである。

仮に、本件各保険契約申込の日に契約が成立したと解釈したとしても、その日は昭和五一年三月二二日であり、いずれにしても、本件交通事故が発生した後である。

抗弁1項(二)は認める。

2 抗弁2項ないし4項は全て知らない。5項、6項は争う。

五  再抗弁〈以下、省略〉

理由

一本訴の請求原因1項については当事者間に争いがない。

そして、本件訴訟においては、本訴反訴を通じて、本件各保険契約の申込がいつなされ、契約はいつ成立したのかについて争いがあるので、最初に本訴の抗弁及び反訴の主位的請求の原因について判断することとする。

1  本訴の抗弁1項及び反訴の主位的請求の原因(一)については、契約締結の日と保険期間を除き右各欄主張のような内容の本件各保険契約が成立したことは当事者間に争いなく、〈証拠〉によれば、被告らは、本訴の抗弁2項及び反訴の主位的請求の原因(一)記載のとおりの交通事故に遭い、これによつて負傷し、おおむね本訴の抗弁3項及び反訴の主位的請求の原因(一)記載のような治療経過をたどり、同欄記載の日まで就業不能の状態にあつたことが窺われる。

2  そこで、次に、本件各保険契約の申込はいつなされたかについて判断するに、原告は昭和五一年三月二二日であり、被告らは同年二月二二日であると主張するところ、証人河原辰之助の証言と被告ら各本人尋問の結果は真向から相反し、これをいずれかに決しうる客観的かつ明確な証拠は存在しないので、以下間接事実に即して判断する。

(一)  〈証拠〉によれば、被告中山は、以前から植木や造園関係の仕事を継続してきたもので、被告田辺も昭和四九年ころより被告中山の元で同様の仕事をしてきたものであるが、被告中山は、以前から目に疾病を有し、その視力が十分でないため思うように働けず、収入が十分でないことから、昭和四九年には詐欺事件を起こし、昭和五〇年にはその刑事処分まで受けており、また、私生活においても、昭和四四年ころ最初の妻と離婚し、その後昭和四七年四月ころから内妻湊徳子と同棲し、昭和五〇年ころまでの間に四人の子供をもうけたので、その生活は苦しく、刑事事件に関する数万円の弁償金にも事欠くありさまであることが認められ、交通事故に遭うなどの手痛い被害を被り、保険に加入する必要性を痛切に感じていたのでなければ、敢えて保険に加入し、同人にとつて決して少額とはいえない保険料の支払を継続してゆくような状況にはなかつたのではないかとの疑問も存在し、被告らの本件各保険契約の申込は昭和五一年三月一四日の交通事故の後になされたのではないかと窺われないわけではない。

(二)  しかし、〈証拠〉によれば、河原は、被告らから本件保険契約の申込を受けた際に、被告らより甲第九、一〇号証の各一とは別の保険申込書に署名捺印をしてもらつたうえこれを受領しておきながら、これを原告会社に提出することなく、被告らの承諾を得ずにこれとは別の甲第九、一〇号証の各一の保険申込書を勝手に作成し、それを同年五月下旬ころ原告会社に提出していることが認められ、これによると、河原の態度は、明らかに当初被告らが署名捺印した保険申込書を原告会社に提出したくない何らかの理由が存在したことを疑わせるところである。

(三)  また、〈証拠〉によれば、被告らは、昭和五一年三月一四日に交通事故に遭い、同日救急車で埼玉厚生病院に運ばれ、医師より入院するように勧められるような受傷状況ではあつたが、仕事の都合等もあり、同日は帰宅し、翌日以降は同病院に通院してその治療を受け、その間首にコルセットを装着して患部を固定していたが、症状が悪化し、同年四月一日から、かなり長期間にわたつて入院して治療を受けていることが認められるが、他方証人河原の証言によれば、同人は、本件各保険契約の申込を受けた当日、被告らはいずれもコルセットを装着していなかつた旨供述していることが認められるところ、当時被告ら両名の症状はその後の入通院治療の状況からみてかなり重く、あえてコルセットをはずすような冒険をするとも思われず、このことからして、被告らの本件各保険契約の申込は同年三月一四日以前ではなかつたかと窺われるところである。

(四)  更に、証人河原の証言によれば、同人は、被告ら両名から本件各保険契約の申込を受けた際、被告らから最近交通事故に遭つたとの報告を受けたが、詳しい内容は聞かなかつた旨述べているが、いかに河原が自らの保険募集の成績を上げるためとはいえ、つい最近事故に遭つたことを知りながら、その傷害の部位、程度、治療の見込などを聴取したり、医師をして専門の検査を行なわせたりすることなく、保険加入の手続をとるとは常識上考え難いところであり、この点においても右証言には強い疑問がある。

(五)  最後に、〈証拠〉によれば、被告らは、昭和五四年六月ころ、河原方を訪れ、本件各保険契約のことについて会話をかわし、その際、河原との会話を録音テープに収録したことが認められるのであるが、その内容を吟味するに、河原は、本件各保険契約の申込が昭和五一年二月二二日であることを表面上は否定するものの、河原が原告会社に報告して手続をとらないうちに、本件交通事故が発生してしまつたため、原告会社へ報告して手続をすることができにくい状況になつてしまつた旨の会話を交わしており、被告らからの本件各保険契約の申込は本件交通事故発生以前になされたのではないかと強く推察されるところである。

(六)  以上の(一)ないし(五)の諸点を総合すれば、たしかに、被告らの資力や生活程度からして、被告らが本件交通事故の前に保険に加入するような余裕があつたかどうかについては疑問がないとはいえないが、この点以外に証人河原の証言を裏付け補強する事実は見当らず、逆に、その余の右認定の諸事実は全て本件交通事故の以前に保険加入の申込があつたことを前提にして説明がつくものばかりであり、これらの点及び〈証拠〉を総合すれば、被告らの本件各保険契約の申込は昭和五一年二月二二日になされたと推認するのが相当であり、この点に関する証人河原の証言は採用しない。

3  そこで次に、本件各保険契約はいつの時点で成立したかについて判断する。

この点に関しては、保険契約は保険申込者が申込書に署名捺印して提出し、原告の保険外務員がこれを受領することによつて成立するのか、外務員が申込書を原告会社に提出した時に成立するのか、外務員たる河原は契約を締結する代理権を有するものかどうかについて当事者間に争いがある。

原告は、保険申込書を外務員より提出を受け、基準に達している場合に申込を承諾し、契約が成立する旨主張するが、証人河原の尋問の際、原告代理人は、保険契約は申込者が申込書に署名捺印して申込み、これを外務員が受領すれば、保険契約としては成立することを前提として同証人に対し発問し、同証人もこれにそう証言をなしているところであり、原告はこの点について結局は争つていないものと解されるのみならず、河原が原告の単なる従業員であつたかあるいは代理商であつたかどうかはともかくとして、いずれであつても、保険契約はそもそも諾成契約であるから、保険契約申込書に加入者が署名捺印してこれを外務員が受領した場合には、収入や健康等に関して基準に達しないことを解除条件として、保険契約自体は成立すると解すべきであり、従つて、本件においては、被告らと原告との間の本件各保険契約は昭和五一年二月二二日に成立したというべきである。

二そこで、次に、原告は、本訴の再抗弁2項及び反訴の抗弁において、仮に、昭和五一年二月二二日に本件各保険契約が成立したとしても、被告らは本件各保険契約に基づく保険料の支払をしないので、約款三条二項、保険料分割払特約条項三条一、二項、傷害による死亡・後遺障害担保特約条項二条二項により、原告は被告らに対して保険金填補責任は生じない旨主張し、被告らは、本訴の再々抗弁2項及び反訴の再抗弁において、被告らは、昭和五一年二月二七日、河原に対し保険料残金四万円を完済したと主張するので、以下この点について判断する。

1  右約款、特約条項により、保険料支払以前に生じた身体に対する傷害による就業不能あるいは後遺障害については、保険者は保険金支払義務がない旨定められており、原告と被告らとの間に右約款及び特約条項が適用されることについては当事者間に争いない。

そして、被告らが、原告との間に、契約申込時に、保険料を一年間に分割して支払い、契約時にその二カ月分(被告中山は三万七六〇〇円、被告田辺は一万五〇四〇円)を支払う旨の約定をし、同日金一万二六四〇円を河原に支払つたことは当事者間に争いない。

なお、証人河原は、受領した保険料の一部である一万二六四〇円は被告田辺の保険料支払分の一部であり、被告中山は一円も支払つていない旨供述するが、被告ら各本人尋問の結果によれば、その支払は、二人分として支払うという趣旨であつて特にいずれか一方の支払とする旨約定したとも窺われず、被告らの保険料相当金に按分して充当すべきである。

2  そこで、被告らが昭和五一年二月二七日に保険料残金四万円を支払つたかどうかについて判断する。

被告ら各本人尋問の結果によれば、被告らは、昭和五一年二月二七日に保険料残金を河原に支払う旨約定し、同日河原方に赴き、同人に対し四万円を支払つたが、河原は所用で出掛ける際で急いでおり、被告らが強く領収証を発行するように要求したが、領収証はあとで保険証券と一緒に渡す、河原の言辞が信用できないのかというような趣旨のことを述べて結局領収証を発行しなかつた旨供述し、証人河原は、これを強く否定し、自己の募集成績を上げるために、年度末の締切りである同年五月に自らの金員をもつて残金四万円を立替えて、原告会社に被告らから契約申込があつたことを報告するとともに、前払分の二カ月分の保険料五万二六四〇円を納付した旨述べている。

そこで判断するに、まず、証人河原の証言によれば、保険外務員は、保険料の支払がなされた場合には、会社名義の領収証を発行することが慣例化されていることが認められ、しかも、領収証は、金銭授受を伴なう契約の最も基本的な文書で、この種のほとんどの契約に付随して作成されるものであり、これが発行されていない以上、保険料が支払われていないのではないかとも窺われるところである。また、被告ら両名は、強硬に領収証を交付するように河原に要求した旨述べているが、このことは、被告らが領収証の重要性を十分認識していたことを物語るものであり、そうであるならば、領収証の交付を受けられない以上、当日は金員の支払を撤回すべきであつたのに、このような行動もとつていないものと推察され、もし、そうしないのであれば、その後繰返して交付を要求すべきところ、そのような行動をした様子も窺われず、被告らが入院中に河原が見舞に来た際にもその発行を要求した様子もないのであり、被告らのこのような態度に照らせば、被告らの供述はにわかには採用できないところである。

また、保険料の立替は、保険業界では禁じられていることではあるが、自己の成績を上げるために実際には往々にして行なわれやすいことであり、河原の動機や行動については一応了解可能な側面がある。

更に、〈証拠〉によれば、被告中山は、昭和五四年五、六月ころ、河原に対し借金の申込をなし、その際河原より保険料が未払になつている旨告げられ、保険料相当金の五万二〇〇〇円を被告中山が河原から借受けた旨の処理をすることとし、甲第四号証の領収証を被告中山が作成し、それと引換に、河原が被告ら両名の保険料を領収した旨の乙第二、第三号証の各一、二の原告会社名義の領収証を発行して被告中山に交付し、更に、河原と被告中山との間で、被告中山が新たに河原から借受けた金五万円と右保険料相当金とあと若干の金員を加えて、被告中山が河原から金一二万円を借受けた旨の甲第二号証の借用証をとりかわしていることが認められる。そして、被告中山本人尋問の結果によれば、同被告は、甲第二号証の作成経過にはほとんど触れることなく、保険料を支払つているのであれば、何故に甲第四号証のような書類を作成しなければならなかつたのかについてほとんど弁明することもないのであつて、このような被告中山の言動は真に不自然であるといわざるを得ない。これらの諸事実を総合すれば、被告中山は、保険料が未払であつたことを認めて、河原との間で右のような事後処理をしたものと解するのが相当である。

なお、証人河原の証言によると、河原は保険料の立替払について、約定の二カ月分前払の分を立替えたほかにその後二カ月分の保険料を立替えたようにもとれる供述をしており、同人の供述は明確を欠き、あるいは甲第四号証の保険料の立替払は、三、四回目の分割保険料の支払分ではないかとの疑問をさしはさむ余地はあるものの、その供述全体を素直に理解すれば、河原は乙第二、第三号証の各一、二の領収証と引換えに甲第四号証の領収証を受領しており、乙第二、三号証の各一、二の領収証については、契約申込時において被告らの支払うべき二カ月分の保険料を意味していることはその供述から明らかであり、河原は、この当初に支払う二カ月分についてのみしか立替支払をしていないものと推認される。

しかし、そうなると、昭和五一年二月二二日に、被告らは河原に対し一万二六四〇円を支払つており、河原の立替金は四万円であるから、河原が被告中山に対し五万二〇〇〇円を要求することは筋が通らないところであり、河原の処理は若干正確性を欠き疑問をさしはさむ余地もないではないが、このことも被告中山が保険料を未払であること自体を自認している前提まで覆えす程の支障にはならないというべきであり、結局、前記のとおり、保険料残金四万円が支払われたとは認めることができない。

3 以上のとおり、被告らが昭和五一年二月二七日に保険料残金四万円を支払つたと認められない以上、原告は、前記約款及び特約条項により、被告らに対し、保険金を支払う義務は存しないことになり(以上は、いわゆる所得補償保険金について述べてきたが、後遺障害保険金についても、被告らが主張する後遺障害が存在するかどうかについて判断するまでもなく、同様に原告にその支払義務は存しない。)、この点に関する原告の主張は理由があり、被告らの主張は採用の限りではない。

三最後に、被告らは、反訴の予備的請求の原因において、河原の不法行為による使用者たる原告の責任を主張するが、右一、二項で認定したように、河原は、被告らから保険の申込があつたことを報告するのがかなり遅れたことはあるものの、結局そのことにより被告らの保険金請求権が消滅したのではなく、被告らの保険料不払によつて消滅したものであるから、河原の行為が不法行為を構成することはなく、原告の使用者責任も同様に問えないといわざるをえず、被告らの予備的請求も理由がなく採用しない。

四以上のとおり、原告の本訴請求は理由があるので、これを認容し、被告らの反訴請求はいずれも理由がないので、これを棄却し、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(手代木進 山崎潮 田村眞)

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